豆腐のはなし(2)戦争のつめあと

NHK朝ドラで「まんぷく」でまんぺいさんが憲兵につかまってしまうシーンがありましたね(13話)。罪状はジュラルミンの横流し。もちろん、まんぺいさんは無実なのですが、彼がつかまってしまった理由は、当時ジュラルミンが国の管理下にあったことです。

1941年(昭和16年)日中戦争の収拾もつかないまま太平洋戦争に突入した日本では、さまざま物資が統制されるようになっていきました。特にゼロ戦など航空機生産に関わるアルミ産業は、重要産業として早くから統制がはじまりました。このせいでまんぺいさんがつかまってしまうのですが、なんと豆腐もまた大きな影響をうけることになったのです。

1940年(昭和15年)、軍事物資であるアルミを統制するため帝国アルミニウム統制会社が設立され、翌年には、マグネシウムも帝国アルミニウム統制会社の管理されるようになりました(これを受けて1942年に軽金属統制会となる)。ちなみにまんぺいさんが連行されたのは1942年(昭和17年)です。

ここで、なぜジュラルミンの話にマグネシウムが出てくるかというと、ジュラルミンはアルミとマグネシウムと銅の合金だからです。航空機の材料して、アルミは軽いものの強度が弱いため、より強度が強いジュラルミンが必要とされたのです。

さて、昨日のブログにも書いたように、にがりの主成分は塩化マグネシウムです。このにがりからとれるマグネシウムを物資としてみた日本は、全国のにがり工場をマグネシウム生産のための軍需工場化してしまいました。この結果、たかだか豆腐のために大事なマグネシウムつまりにがりを使うことができなくなってしまいました。

とはいえ、すでに経済封鎖のため、アルミ自体も電力も足りなくなっていた日本で、この措置が有効だったかといえば疑問です。

さて、今日は豆腐がほとんど登場しませんでしたが、にがりを失って豆腐はどうなったのか。つづきは明日。