ゲノム編集で双子を誕生させたというニュース。ショッキングな一方で、とうぜんそういうことも起きるよね。と思いました。そういうことができる環境であって、自分の興味がそこにあれば、ヒトは何でもしてしまうものだからです(どんな非道なことでもです)。それをやっていいのか?いのちとどう向き合うか?なんて、めんどくさいことはたいていよくは考えないものです。
そんなわけで、こういう記事もたいてい他人事モードなんでしょうけど、一方、食べ物の話となると、ちょっと様相がかわります。自分じしんにかかわってくるからです。 なんか気持ちわるい。 遺伝子組み換え食品は食べても大丈夫なのか?と。豆腐を買うときでも「遺伝子組み換えではない」というような表示のものをなんとなく選んだりしてますよね。だけど、その「気持ち悪さ」って本当に「安全性」についてのものなんでしょうか?
安全性に関わる話なのだ。ということにしてしまうと、ここぞとばかり推進派はいかに遺伝子組み換えが安全化について懇切丁寧に教えてくれます。そうして、だから問題ないよね?というわけです。安全性が問題だよなーと思っていたところへ、いえいえ安全なんですよ、それなら問題ないですよね?といわれれば、YESと答えるしかなく、かえって説得されてしまいます。
だけど、自分の場合、「気持ち悪さ」に安全性なんて関係ありません。だってふだん十分不摂生してますから。死ぬのが怖くて生きてられるかって話です。そうではなくて、何が気持ち悪いって、生命をいじること自体が気持ち悪いのです。生き物としての仁義に反すると思うのです。これはもう信仰なので、リクツもなく議論の余地もありません。だからやりたいヒトにやめろとも言いませんが、認めもしないという立場です。
あえてリクツをいうとすれば、人類にとってやるべきことはそれじゃないということです。いつか人類も滅ぶ日がくるでしょう。そのときまでに、成し遂げるべきことがいくつかあるのに、遺伝子操作なんて言う悪ふざけで道を閉ざしてしまう。医学の進歩に少しは貢献するかもしれないけど、もっととんでもないことをやらかす。そんなことになるんじゃないかと懸念するわけです。そうヒトが人になる前にね。