平成の米騒動から25年というような記事を最近みつけました。1993年、たしかにあの夏は冷夏で、夏だというのにずっと曇り空。大学2年生だった私の友人は、海の家のバイトをする予定でしたが、仕事はなし。海にいっても誰もいません。さびしい青春の一ページです。
とはいえ、実をいうと、この騒動でわたしはずいぶん助けられました。当時学生だった私にとって、食費をどう工面するかはなかなかシビアな問題でした。寮に住んでいたので住居費は大したことありませんでしたし、あまり悪い遊びもしなかったので、家計に占める食費のウェイトは大きかったのです。
で、何で助けられたかというと、タイ米が無料で大量に手に入ったからです。あのとき冷夏による米不足をうけて政府はタイから米を緊急輸入しました。そして、日本産のコメにタイ米をつけて販売してました。そう、当時は標準価格米でしたね。食管法がまだあったから。しかしあろうことか、わが国民は、タイ米がまずいと。だから捨てると。とんでもないことをいう。それならばということで、「ちょうだーい」といってたくさんもらってました。
タイ米がまずいといっていた方々がどうやって食べていたのかしりませんが、おそらく、炊飯ジャーで炊いていたのでしょう。はっきり言ってそれはよくない。たぶん。当時、炊飯ジャーをもっていなかった私は、国産米も鍋で炊いてましたから、タイ米も鍋で炊きました。ただ、タイ米の場合、炊くというより茹でるという感覚です。大目のお湯でゆでて、適当に茹でこぼす。そうやって食べてましたが、十分うまかったです。
そんなわけで、今もこうして生きていられるのはタイ米のおかげ。ああ、またタイ米が食べたい。
昭和46年生まれ。神奈川県産。妻ひとり猫ひとり。高校時代は丹沢に通って荷揚げのバイトしていたおかげでカモシカのようだったが、それも昔の話。その後、生態学者を志し、大学でできるだけひとの役にたたない研究をしたいと思っていたもののかなわず今に至る。現在は、お米を生産する法人で働き、自然栽培米に関わっていたりする。IT企業でも数年働いており、そのときの経験を生かして、農業にIoTをDIYで導入する手伝いをしたいと思っている今日このごろ。また、生き物にはやさしいけど、ひとには冷たいよねという評価もあったりする。