ひさしぶりに都心で電車に乗る機会がありました。休日なのでそれほど混んではいませんが、長椅子に空席はなく、ある親子連れの前にたちつり革を握ります。親子連れは、若いお母さんと4才くらいの男の子。男の子はスマホの動画でミッキーマウスを見ている。だけど、もう次の駅で降りるようで、お母さんは子供からスマホを返してもらいたい。おそらく、改札で必要なのでしょう。でも、スマホを返すよう言っても、男の子はスマホをしっかと離さない。むりやり取り上げると今度は大きな声で泣き出してしまう。いやいや、お母さん大変だなあ。と思っていたのですが、よくある光景なんでしょうね。電車の中で、子供がぐずると周りに迷惑をかけるとお母さんは思うだろうし、実際いやな顔をする人もいるでしょうし。
スマホを持たせておけば、おとなしくしていてくれる。とりあえず、みんなハッピー。なのかな。なんだかよくわからない違和感を感じつつも、電車を降り、バスに乗り換える。
バスではまだスマホで料金が払えませんが、そのうち使えるようになるでしょう。今のところはICカードです。料金の表示をみようとすると、表示のシステムも新しくなっている。すると、180円という表示のしたに175円との表示。なにその半端な数は?子供料金?といぶかりつつよく見ると、ICカードでの値段とのことで、数円安いというわけね。なるほど、便利な上にお得です。
こういうときに、ああ、何て素晴らしいんだろうとは思えないところが、ひねくれているのか、頭が古いのか。もちろん、スマホなんてなくなってしまえと思っているわけでもなく、農業で活用できればいいと常々思っているのですが。ただ、ちょっと侵害されすぎているように思ってしまうんですよね。どうしても。
先日、ポーランドで中国の通信機器メーカーの社員がスパイとして逮捕され、メーカーは事実を否定しながら社員を解雇。一方、アメリカはこのメーカーの機器自体に不信があるとして締め出ししようとしている。なんとなく、漠然とした不安を感じる。だからといって、スマホをやめようというわけにもいかない。便利さゆえに生活がどんどんスマホに取り込まれていく。
現在は、いきすぎたグローバル経済がさまざまな問題を引き起こしているわけですが、こちらの方も人々の欲望のうねりが産み出したもので、一方的におしつけられたものではない。商店街より大きなスーパーの方が便利だし、アマゾンで何でも買える。悪いことをしているわけではないのに、気がつくとコミュニティは分断され、地方が寂れ、格差はひろがる。
わたしたちは、どこへ行こうというのかな。
昭和46年生まれ。神奈川県産。妻ひとり猫ひとり。高校時代は丹沢に通って荷揚げのバイトしていたおかげでカモシカのようだったが、それも昔の話。その後、生態学者を志し、大学でできるだけひとの役にたたない研究をしたいと思っていたもののかなわず今に至る。現在は、お米を生産する法人で働き、自然栽培米に関わっていたりする。IT企業でも数年働いており、そのときの経験を生かして、農業にIoTをDIYで導入する手伝いをしたいと思っている今日このごろ。また、生き物にはやさしいけど、ひとには冷たいよねという評価もあったりする。