どうして自然栽培をするのか

毎年、仕事で、自然栽培による米栽培をしています。ただし、自然栽培といってもやり方はいろいろあるようで、耕起(たがやすこと)しない、除草(草をとること)もしないのが自然栽培なのだという人もいます。 わたしの場合、耕起も除草もするので、それは自然栽培ではない(怒)といわれたら、はあ、すみません。ということにしています。

いろいろあるのはやり方だけでなく、考え方もさまざまです。たいていのお客さんは、自然栽培あるいは無農薬や有機栽培と聞くと安全だとか安心だとか、そういうことを期待してお買い求めになることと思います。作り手も安全・安心を願ってわざわざ苦労して栽培しているわけですが、実のところ、こうすれば絶対安全・安心という基準はありません。話はすこしずれますが、日本において、有機栽培であると謳うためには有機JAS認証を得る必要があります。しかし、この認証は、何を農地に入れてもいいかについてあれこれ決めているものの、アウトプットとしての農産物に対して「こうあるべき」という指標は与えていません。

もうひとつ自然栽培や無農薬有機栽培において期待されるのは、環境への負荷を小さくすることです。農薬を使えば当然そこで生き物が死にます。ターゲットとなる生き物以外に悪影響がでることもおうおうにしてあります。また、肥料を使えば環境を汚染します。水も大気もです。地球温暖化にも貢献します。

本当は、安全・安心な農産物の栽培と環境保全を両立させるような農業を考えるべきなんですが、正直なところ市場における環境保全へのニーズがあまりありません。たぶん話が遠大すぎるんでしょう。そのためか、生産者もあまりそちらには目を向けなくなってきているというのが現状です。そんなわけで、有機肥料といってもけっこう地球に負荷をかけているものが使われていたりします。資源の循環などお構いなしです。

その点、自然栽培のよいところは、とうぜん農薬を使わないし肥料も使わないので、環境に負荷をかけようがないわけです(注)。

そうなると、ほんとに自然栽培が可能なのか?という話になります。肥料を使わないで作物ができるはずがないというのが、一般常識ですから。勉強してきた人ほどそう思うものです。だって、世のひとびとが肥料を使い始めたのは、それが必要だったからで、肥料が不可欠だと思うのが道理です。

実際には、一般常識に反してお米はできます。なぜできるのか?それは魔法ではなくて、なんらかの形で肥料分が作物に供給されているからです。たとえば、窒素についてみると、微生物による大気窒素の固定や窒素酸化物の降下など、わざわざ肥料をいれなくてもある程度は空からやってきますし、灌漑水からも入ってくるでしょう。そういわわればそうだよね。というような話です。

お米ができるというのと、農家が経済的になりたつというのは別の話なので、それでも肥料が必要というひとはいるでしょう。個別にはそういう判断でよいのです。しかし、窒素やリンといった肥料が大量に使われるようになってから、それらの環境への負荷は深刻なものになっています。しかも、お金を払ってたくさん肥料を使い、お米がたくさんできるせいで米価が下がるということにもなります。

そのような状況ですから、多少収量が少なくても自然栽培が成り立つところではぜひやってもらいたいものだと思います。

注:自然栽培でも機械を使えばCO2を排出しますし、水田はメタンの一大発生源です。

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